要旨:
- 食べ歩きならぬ「歩き食べ」する人が広がっている。真っ昼間の原宿でおにぎりを食べながら人混みを歩く若者。コンビニで買ったホットドッグを通勤電車の中で食べて朝食がわりとするOL。若い世代に増えている。その背景を識者に聞いてみた。
- 「他人を不快にさせるという感覚が、若者に薄れている」(愛知工業大学石垣尚男教授)
- 「歩きながら食べて時間を捻出している。周りが他人ばかりだと恥ずかしいとも感じない」(聖心女子大学菅原健介教授)
- 「歩きながら済ませればいいと言うくらいに、食への関心が低くなっている。若者にとっては食事はお腹が減るから仕方なくとるもの。面倒くさいのでは」(三浦展)
- 「マナー改善を呼びかける活動を実施したり、学生の意識を変えようと鋭意やっている」(東京女子体育大学浅見美弥子教授)
- 「日本では仕事をしながら食べる風土が昔からあった、歩き食べが行儀が悪いとされたのは、戦後のことではないか」(武庫川女子大藤本憲一教授)
- 「周りの人の視線に無頓着なことが反発を呼ぶ、臨機応変に場の良し悪しを考えて欲しい」(実践女子大学串崎扶美子さん)
これで思い出したのが、映画「恋に落ちて」だ。ロバート・デ・ニーロ演じる建築家(奥さん持ち)とメリル・ストリープ演じる人妻が恋に落ちる。これは最初の出だしから観客に分かっていた。ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープはそれぞれニューヨークで昼ご飯にホットドッグを立ち食いするのだ(もちろん別々に)。これで映画を見ている人は、彼ら二人は同じ価値観を共有する人間であると(結ばれることが運命付けられていることが)分かる仕組みとなっている。もちろんそれをトンでもないと見なすおばさんも登場する(エレベーターの中でデニーロはPTAおばさんから嫌がらせにあう)。どこにでもこういう正義感が強いおばさんはいるものだ。
ちなみにロバート・デニーロの奥さんは園芸に凝るエコロ女、メリル・ストリープの旦那はヨットなどやる気障なスノブという設定。当然ホットドッグを立ち食いする連れ合いとはうまく行っていない。
これとてもいい映画で、クリント・イーストウッドは「マジソン郡の橋」で雨の中の別れのシーンをぱくったくらい。最後はハッピーエンドで終わりほんとによかった。
話は別の方に行ってしまったが、言いたかったことは「歩き食べ」大いに結構と言うこと。江戸時代は鮨もそばも立ち食いだった。みんな揃ってチマチマした「手作り料理」を仲良く楽しく食べるというスタイルは、戦後に作られたものでしかない。
2 件のコメント:
以前、内舘牧子が何かのエッセーで、最近の子供は躾がなっていない、外でものを食べてはいけないと教えられていない、と論じていて、そこで挙げられていた極端な例はともかくとして、一般論として違和感を感じました。
まぁ、「大相撲」が日本の伝統だと思っているような人ですから、基本的な教養が無いのでしょう。
相撲は、鷹狩りと同じく、モンゴル騎馬民族の伝統スポーツなのに、朝青龍を首にしろと言ってみたり、困りますね、あのおばさん。
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